うちの彼氏は脳腫瘍63

脳腫瘍奮闘記
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脳腫瘍奮闘記の目次はこちらから(^^)
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↑の続きです♪

アラヤちゃんが救急車で運ばれた後、入院中のアラヤちゃんの様子は分からなかった。
ただ、着の身着のままで入院することになったアラヤちゃんの入院グッズをアラ母が持って行った時、看護師さんに様子を訊いたら「意識ははっきりしてますよ。」とか、「良くなっていますよ。」とかなどと教えて貰えたらしい。
ただ、ざっくりとしたことは教えて貰えるが、詳しいことまでは教えて貰えなかったそうだ。

どれくらい良くなっているのか。
自力で起き上がれるのか、歩行できるのか、喋れるのか、単語だけなのか、文章になっているのか……。
そういったことは謎のままだった。

アラヤちゃんが再入院して3日が経った日のことだった。

アラヤちゃん
アラヤちゃん


 

というLINEが届いたのだ!

スマホの存在を認識し、文章になってないけどLINEでメッセージを送れるくらいには回復している!!!
アラ菜ちゃんとのグループLINEだったので、まずはアラ菜ちゃんが

アラ菜ちゃん
アラ菜ちゃん

お!

と反応し、私は

圭

おお。

なんか嬉しい。

ゆっくり回復してね🏥

とメッセージを送った。


↑が実際のLINE
※自分の名前を送ってきたりしていた。

発作で倒れる前はスムーズだった会話は一時的に失っているが、それでもなんとかコミュニケーションを取ろうという意欲もあるし、スマホの使い方は思い出している。
そしてその会話能力は少しずつ回復していったのだった。


↑のLINEは最初のLINEの2日後。
2日でまともな文章が送れるようになってきていたので、私は大いに安心した。
ミスター淡々こと細野医師が言っていた「元に戻りますよ。」が現実味を帯びてきたのだ。

本人は手術後のリハビリで回復した機能が、大きなてんかん発作でふっとんでしまいショックのようだが、私たちはとにかく脳機能が回復してきていることにほっと安堵の溜息をついたのだった。

なんとかかんとか順調に脳機能は回復し、右手足の身体の機能は特に健常者と遜色ないレベルに見える程度にはなり、言葉の機能も複雑な文章は言えないが、1文ずつであれば話ができるレベルになったため、10日ほどの入院でアラヤちゃんは退院できることになったのだった。

ちなみに、アラヤちゃんはビムパットという抗てんかん薬を手術前から1日100mg飲んでいたのだけど、医師からの指示でそれが倍の200mgになってしまった。
それは基本的に薬を飲むのを嫌うアラヤちゃんを辟易とさせたが、あれだけ大掛かりなてんかんの重積じゅうせき発作を起こしたのだからと、アラヤちゃんもしぶしぶ受け入れたのだった。
※重積発作:5分以上続く大きな発作のこと。

20日後に診察の予約を入れ、それまではまた様子を見つつ自宅療養をしよう、ということになっての退院だった。

そして退院後のアラヤちゃんの様子は、と言うと……。

てんかん発作が毎日起きる日々。

入院中は服薬だけでてんかん発作はほとんど起きなかったが、退院して実家で生活していると毎日発作が起きてしまっていたのだった。
ひどい時には1日に3~4回起きることもあり、特に入浴中に起こることも度々あったため、アラ父母や私はアラヤちゃんがお風呂に入るたびに
「発作は起きてないだろうか?」
と冷や冷やし、中々上がってこなければお風呂場のドアに耳をそばだてて中の様子を伺ったものだった。

細野医師
細野医師

5分以上てんかんが続いた場合は、救急車でうちの病院まで運んでもらって下さい。

と言われていたのだが、4~5分で治まるてんかんも何度か起きていたため、不安になったアラ父母はアラヤちゃんを予約外で県立病院に連れて行き、主治医の三谷医師にてんかんについて相談に行ったりもした。

三谷医師
三谷医師

抗てんかん薬を増やしましょうか。

予約外診察で主治医からそうあっさり言われ、やはり基本的に薬を飲みたくないアラヤちゃんは嫌だったようだが、てんかん発作が毎日のように起きていたので、それもしかたなく承諾したのだった。

そして薬を増やし1日300mg(最初の3倍)の服用にしたので、てんかん発作が治まったかというと……。

特に発作の頻度は減らなかったのだった(´;ω;`)

↓に続きます♪

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