術後の経過の説明を受けた後は、スマホの存在を思い出したアラヤちゃんとLINEでやり取りが復活した。
既読が付くようになり、簡単な文章ではあるけれど返信も来るようになった。
長文や2文以上の返信は難しいらしく、
「あいよー」とか、「分かったー」とか、「了解。」とか、「リハビリ頑張ります。」程度ではあるが、それまでの音信不通に比べればマシだったので、けっこうホッとしたのを覚えている(´▽`) ホッ
ちなみに、当時のアラヤちゃん曰く、文章を考えるのも大変だったし、思いついた文章を覚えておくのも大変だったけど、スマホのフリック入力が意外な曲者だったらしい。
フリック入力はけっこう脳機能と指先を連携して使うのか、思いついた文章をスマホで打つのに苦戦して、ぼちぼちイライラしていたんだそうだ(# ゚Д゚)
とは言え、リハビリにもなるだろうしということで、毎日せっせとLINEを送り、返事が来るのを待つ私。
健気ぢゃない?w
そんな私の元に、
「病理診断の結果が出たから、関係者各位は病院に集合するように。」
というお達しが来たという連絡が、アラ父から来たのだった。
いよいよ、か……。
と私は思った。
脳腫瘍のタイプで可能性があるのは、比較的予後の良い「乏突起神経膠腫」と、比較的予後が悪い「星細胞腫」の2種類があり、それぞれに悪性度が「グレード2」と「グレード3」がある。
↑の表にある通り、5年生存率で見ても星細胞腫よりも乏突起神経膠腫の方が、グレード3よりもグレード2の方が、生存率は高い。
グレード2の乏突起神経膠腫であることを、願わずにはいられない。
そんな希望を胸に抱く私の気持ちを知ってか知らずか、結果を聞きに集まった私とアラ父母に対して、細野医師は病理診断の結果が記載された紙をさらりと渡し、淡々とこう言った。
病理診断の結果は、
「びまん性星細胞腫」で、グレードは2でした。
↑渡された資料の一部抜粋
※病変が比較的均等に広がっている状態を医学用語で「びまん性」と言うそうです。
病理診断の結果は、「星細胞腫」の「グレード2」だった。
グレード2だったのは嬉しかった。
グレード3は、「乏突起神経膠腫」でも「星細胞腫」でも予後が悪い傾向が強かったから。
でも、そうか、「星細胞腫」だったのか……。
5年生存率は、50~70%と乏突起神経膠腫グレード2の90%よりも低い。
生存期間中央値(同じ病気の方の半数が亡くなるまでの期間)は5年前後短い。
グレード3の人からすれば、それでもグレード2だったんだから良かったじゃないか、と言われるだろう。
グレード4の膠芽腫の方からすれば、残された時間が全く違うじゃないか、と怒られるかもしれない。
もし、逆の立場だったら同じことを絶対に思う。
でも、「乏突起神経膠腫」だったらなぁと、どうしても思ってしまった。
えー、これが鹿角さんから摘出した腫瘍の顕微鏡写真なのですが……。
と言って、特殊な染色処理を施したであろう脳腫瘍細胞の写真を見せてくれた。
それを見た私は、学生時代の細胞染色を思い出した。
↑こんな感じに、細胞を染色した顕微鏡写真を撮ったもんなのである。
※ちなみにこれは細菌の写真なので、脳腫瘍細胞とは違うけど何となくこんな感じ、と思って貰えれば幸いです。
この顕微鏡での観察を元に、専門の先生が出した診断結果が、今回の結果になります。
何十種類もある脳腫瘍のタイプの中から、グレード2の星細胞腫だと診断されました。
手術前にグレード2か3じゃないかとお話ししていましたが、まあ、3よりはラッキーでしたね。
細野医師は、「グレード3」ではなかった、ということを強調した。
そして、今後の予定についておさらいさせられ、まずはリハビリ病院に転院してリハビリの集中トレーニングをし、退院したら脳腫瘍の追加治療になる、と言われた。
脳腫瘍の治療は、
①手術
②化学療法(抗がん剤治療)
③放射線治療
が3本柱になる。
だけど、①の手術はすでに可能な範囲で最大限腫瘍を摘出しているので、これ以上の治療は現段階では無理である。
なので、②か③の治療になるが、おそらく通院での②抗がん剤治療になるのではないだろうか、と以前も言っていたことを繰り返し細野医師は言ったのだった。