HCUと呼ばれる集中治療室での短い面会を終えた私たち(アラ父母と私)は、HCUの中にある小さな診察室に通された。
そこには手術を終えたばかりの細野医師がすでに待っていた。
白衣を着ていたが、その下は手術着らしきものを着用していたし、頭には頭髪落下を防止するための布を被っていた。
どうぞ、お入り下さい。
そう促す細野医師に従い、私たち3人は部屋の中の椅子に座った。
細野医師はイラストを描いて、手術について説明し始めたのだった。
左の耳から皮膚を切り、このように開き脳を露出させました。
↑細野医師のイラスト
そして、左の前頭葉を露出させ、麻酔機を切って目を醒めさせてから、MRIで見られた病変部を中心に摘出していったわけですが……。
あ、ちなみにここが脳の中で右手や右足に関わる部分ですね。
↑こんな感じ。(伝わる?)
ちなみに、麻酔から目が醒めない、ってトラブルはなかったみたいで一安心。
※まれに麻酔から中々目が醒めない人がいて、そうすると覚醒下手術ができない、って言われていたので。
①のあたりを電流で麻痺させると、言葉が喋れなくなりました。
それから、②のあたりを電流で麻痺させると、同じ言葉を繰り返すようになったんですね。
これらは総称して「失語」と言える状況なので、摘出はしませんでした。
↑こういうことだそうだ。
また、③では手のしびれがあり、④では膝がしびれると言っていました。
↑続・こういうことだそうだ。
それで、残念だったのが⑤のあたりをやっている時に、結構大きなけいれん発作が起きました。
数分続くような大きな発作です。
ただ、1回だけでした。
とはいえ、発作の影響で手足が動かせなくなり、覚醒下手術を充分に行うことが出来ませんでした。
それに加えて、⑤よりも先に進もうとすると失語の症状も大きく出てしまっていたので、先に進めなかったんですね。
ああ……そうですか……
細野医師が言わんとすることを想定し、アラ母がため息を吐いた。
ですので、MRIで確認できた病変部の50%くらい……厳しめに言えば50%も摘出できていないと思います。
とはいえ、これでも摘出できる結構ギリギリだったと思います。
そうですか……
確かに、思ったよりは摘出できなかった、というのが現実ですね。
ただ、出血とかそういうトラブルはありませんでした。
淡々とした物言いがウリの細野医師とは言え、最後は明るい話題に切り替えようとしたのか、脳出血や脳梗塞と言った大きなトラブルが起きなかった、と前向きな発言に切り替えてきた。
そして、手術自体は9時半くらいから始まり、15時過ぎに終わったので、所要時間は5時間半程度だったということ、出血は420ccなので輸血はしていないということを告げてきた。
8~9割摘出出来れば確かに良かったんですけど、半分くらいに留まったのは事実ですが、それしか摘出できなかったのに現状で右の手足の動きは悪いです。
手術直後、の話ですが。
術後、回復していく可能性はあるよ、という含みを持たせた言い方をしてきた。
ちなみに、言葉に関しては手術前後で大きく変わっていないかな、と思います。大きな変化は特にないです。
ただ、手術の影響が全くないわけではなく、お名前を訊いているのに生年月日を答えてきたりしています。
名前が生年月日になっちゃうんですか?
えー……と。『お名前は?』と訊いているのに、『昭和〇年〇月〇日』とお答えになっている状態です。
細野医師は、これらの手足や言葉の症状は、術後数日経ってみないと何とも言えないので、様子を見る必要があると言ってきた。
まだ手術終わって1時間くらいしか経っていないですからね。
そして術前に説明した通り、15%くらいの患者がリハビリ訓練を受けているが、1週間くらい経てばリハビリ集中訓練が必要かどうかの判別がつくと思う、と言った。