今日はみなさんにご報告があります。
アラヤちゃんは、12/14午前2時頃、家族に見守られながら安らかに息を引き取りました。
51歳でした。
12/13に訪問診療の医師から「今夜が峠かも知れません。」と言われていたそうだ。
それでアラヤちゃんのお父さんが夜中も時々様子を見に行っていたら、呼吸が段々とゆっくりになっていき、それで最期が近いと感じ取りアラヤちゃんのお母さんと妹(帰省していた)を起こして、息を引き取るのを見守ったらしい。
私はと言うと、仕事の関係でアラヤちゃんの実家には泊まることが出来ず、12/14の朝起きてアラヤちゃんのお父さんと妹ちゃんからのLINEでアラヤちゃんの訃報を知った。
その時の正直な気持ちは、
「ついにこの時が来てしまったか。」
と冷静に受け止める静かな感情だった。
私は仕事の前にアラヤちゃんの実家に立ち寄り、アラヤちゃんの死に顔を見ながら、そっと
「おつかれさま。ゆっくり休んでね。」
と伝えた。
朝早くにアラヤちゃんの実家にお邪魔したのに、すでに訪問医師により死亡確認は済んでおり、訪問看護の看護師さんによりエンゼルケアを施されてた。
うっすらと死化粧をほどこされたアラヤちゃんは、本当に眠っているようで、
「よっ!」
と今にも起き上がってくるんじゃないだろうか、と思える程だった。
悪性脳腫瘍だと知ってから3年とちょっとの闘病生活。
いつ自分の命の炎が消えるかわからない恐怖との闘いの日々だったと思う。
今年の8月から坂を転がるように悪化していく病状に、本人が一番戸惑い苦しみ悩み、そして絶望しただろう。
唯一の救いが、最期の方は「痛いとか苦しいとかはない。」と医師から言って貰えたこと。
アラヤちゃんは本当に安らかに静かに旅立ったのだった。
本当はもうちょっと長生きすると思っていた。
病院の先生にも、腫瘍の再発により、摘出手術はもう何回か実施すると思うと言われていたし、統計的にももう3~4年は私たちに時間が残されているはずだった。
だけど、再発した場所が悪かった。再発した脳腫瘍は、脳の奥へ奥へと進んでいってしまい、摘出手術をしようもないところで悪さを働いたのだった。
そして、アラヤちゃんから考える力や喋る能力、右手足を動かす力を奪っていってしまった。
そうして、私とアラヤちゃんの出会ってから20年。
付き合い始めてから20年弱の時計は止まってしまった。
私の人生の半分近くを占めたアラヤちゃんとの時間が終わった。
通夜を済ませて、葬儀を済ませて、骨上げも済ませたけれど、それでも実感がわかないのはなぜだろう?
日々の生活のちょっとしたことでアラヤちゃんのことを思い出す。
例えば、アラヤちゃんが使っていたお箸を見るだけで。
例えば、アラヤちゃんが好きだった音楽を聴くだけで。
例えば、アラヤちゃんの作った彫刻作品を見るだけで。
ふとアラヤちゃんが帰ってくるんじゃないかと思ってしまう。
「やあ、圭ちゃん。」
と気楽にふらりと戻ってくるんじゃないかと思ってしまう。
そんな日々を、私は現在過ごしている。
アラヤちゃんを失ったという喪失感に、現実味を感じたり感じなかったりしながら。